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諏訪の家-casa suwa-
 
 
 封書に封じ込めたラフスケッチが「建築になる」ことを祈るような気持ちでコペンハーゲンの郵便局をあとにした。9月の北欧は自分にとっては肌寒く、Tシャツ一枚で歩く人びとの中で自分一人が気候に適応できていないような深い疎外感を味わっていた。いや、疎外感は気候のせいだけではない。芦原義信先生の事務所を飛び出して建築を巡るために長い放浪をしていた自分にとって、どこにも所属していない自由と、先の不安はいつもセットで旅の荷物と共に引きずっていた。
 
 実家を建て替えるということは、ずいぶん前から出ていた話だった。しかし、父親は本格的な検討をする間もなく旅立ってしまった息子にしびれを切らして、既存家屋の解体も終わらせていた。そして仮住まいをしている父親から「いますぐプランを送れ」というメッセージが届いたのだ。もう待ちきれないから何処かの設計事務所に頼むつもりだということを添えて…
  毎日毎日、名作と言われる建築と向き合いながら、自分がつくりたい空間とは何だろう? と考え続けていた。「作り手」として生きていきたいと心に決めていたから、建築を見て回ることは教養を高めるためでもないし、ましてや物見遊山でもなかった。名作の向こうに「自分が見たいもの」がおぼろげにでも見えないだろうかという問いを発し続けていただけだった、と今は思う。
 
 北欧にいたときで半年弱。ひたすらそんな日々を送っていた。
 送ったスケッチにはその時期でなくては、おおよそ考えなかったであろう案を描いていた。2ヶ月早かったら白旗を揚げていたかも知れないけれど、その時は不思議と自然に手が動いたのだ。そのスケッチの案がやや難解だったことも手伝って(もちろん親心だということは分かっている)なんとか旅立ってから8ヶ月、帰国のタイミングまで待っていてくれた。
 
「では2ヶ月で着工することにする」帰国してすぐに、いつ寝ているのかよく分からないような状態で製図板に向かい、設計図を描き上げて確認申請を通した。この余裕の無さは、この時ばかりは上手く作用したように感じている。それは、旅の中で感じたことを整理するゆとりもなく、他の邪念が入り込むこともなく必死で描き続ける時間だった。
 
 この初めて自分の名前で手掛けた建築が雑誌などに取り上げられて、建築家としての第一歩を踏み出すことができた。家族には感謝してもしきれないと思っている。
 
 時折、この家には雑誌などの取材が入る。建築家の自邸ということで「ああしておけば良かったと後悔しているところはありますか?」という質問を受けることがあるけれど、(本当に)「ありません」と答えている。処女作をつくってから10年以上が経つから、今同じ条件で設計したらきっと違うものが出来上がると思うけれど、あのときはあれが自分自身の全身全霊だった。だから「たら」「れば」は想像できないのだ。
 築13年目。いまだに家に帰るたびに建築から問いかけられているように感じる。
「あのときの情熱を憶えているか?」 …と。
 
 

 (廣部剛司)

 
 
 
 
建築概要
名称  :諏訪の家-casa suwa-
所在地 :神奈川川崎市
主要用途:専用住宅(二世帯住宅)
主体構造:壁式鉄筋コンクリート造
規模  :地上2階
敷地面積:668.31m2(201.8坪)
建築面積:188.05m2(56.8坪)
延床面積:323.79m2(97.8坪)
竣工  :1999年11月
 
構造設計:有村建築設計事務所
施工  :馬淵建設株式会社
 

 
 封書に封じ込めたラフスケッチが「建築になる」ことを祈るような気持ちでコペンハーゲンの郵便局をあとにした。9月の北欧は自分にとっては肌寒く、Tシャツ一枚で歩く人びとの中で自分一人が気候に適応できていないような深い疎外感を味わっていた。いや、疎外感は気候のせいだけではない。芦原義信先生の事務所を飛び出して建築を巡るために長い放浪をしていた自分にとって、どこにも所属していない自由と、先の不安はいつもセットで旅の荷物と共に引きずっていた。
 
 実家を建て替えるということは、ずいぶん前から出ていた話だった。しかし、父親は本格的な検討をする間もなく旅立ってしまった息子にしびれを切らして、既存家屋の解体も終わらせていた。そして仮住まいをしている父親から「いますぐプランを送れ」というメッセージが届いたのだ。もう待ちきれないから何処かの設計事務所に頼むつもりだということを添えて…
  毎日毎日、名作と言われる建築と向き合いながら、自分がつくりたい空間とは何だろう? と考え続けていた。「作り手」として生きていきたいと心に決めていたから、建築を見て回ることは教養を高めるためでもないし、ましてや物見遊山でもなかった。名作の向こうに「自分が見たいもの」がおぼろげにでも見えないだろうかという問いを発し続けていただけだった、と今は思う。
 
 北欧にいたときで半年弱。ひたすらそんな日々を送っていた。
 送ったスケッチにはその時期でなくては、おおよそ考えなかったであろう案を描いていた。2ヶ月早かったら白旗を揚げていたかも知れないけれど、その時は不思議と自然に手が動いたのだ。そのスケッチの案がやや難解だったことも手伝って(もちろん親心だということは分かっている)なんとか旅立ってから8ヶ月、帰国のタイミングまで待っていてくれた。
 
「では2ヶ月で着工することにする」帰国してすぐに、いつ寝ているのかよく分からないような状態で製図板に向かい、設計図を描き上げて確認申請を通した。この余裕の無さは、この時ばかりは上手く作用したように感じている。それは、旅の中で感じたことを整理するゆとりもなく、他の邪念が入り込むこともなく必死で描き続ける時間だった。
 
 この初めて自分の名前で手掛けた建築が雑誌などに取り上げられて、建築家としての第一歩を踏み出すことができた。家族には感謝してもしきれないと思っている。
 
 時折、この家には雑誌などの取材が入る。建築家の自邸ということで「ああしておけば良かったと後悔しているところはありますか?」という質問を受けることがあるけれど、(本当に)「ありません」と答えている。処女作をつくってから10年以上が経つから、今同じ条件で設計したらきっと違うものが出来上がると思うけれど、あのときはあれが自分自身の全身全霊だった。だから「たら」「れば」は想像できないのだ。
 築13年目。いまだに家に帰るたびに建築から問いかけられているように感じる。
「あのときの情熱を憶えているか?」 …と。
 
 

 (廣部剛司)

 
 
建築概要
名称  :諏訪の家-casa suwa-
所在地 :神奈川川崎市
主要用途:専用住宅(二世帯住宅)
主体構造:壁式鉄筋コンクリート造
規模  :地上2階
敷地面積:668.31m2(201.8坪)
建築面積:188.05m2(56.8坪)
延床面積:323.79m2(97.8坪)
竣工  :1999年11月
 
構造設計:有村建築設計事務所
施工  :馬淵建設株式会社
 

Photo
@Hiro Sakaguchi
@Nacasa & Partners

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